高校生の時のはなし

昨日、対話ができる場ってどんな場かなっていうのを話していて、

 

ボードゲーム×対話

 

の場を計画中である。

私がこれに関わることの意味は?

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単純に静岡でなにかしたいんだよなぁ。

 

動かないよりは動いたほうがいいと思って動いている。

要は私だって有名になりたい。

人気になりたい。

すごいって言われたい。

必要とされたい、愛されたい。

本当はそういう感情が一番本音の部分にあるのかも。

 

 

 

まあそこで、学校がつまんねぇー、って言える環境でありたいという話になった。

家で言ったら親は心配するけど

この場に来たときには気にせず言える、

そういう場にしたいと。

 

私の学生時代を思い出した。

今振り返って私自身ににはそういう場ってなかったかもな、と気づいた。

 

中3のとき、幼なじみがもう普通教科は勉強したくないし、就職したいから商業高校へ行く、と言った。

 

それを聞いてかっこいいと思ったし、そんな選択肢もあるのかと気付かされた。

私は楽しようとしてしまった。

それに当時好きだった子が農業高校へ行くって言うものだから完全にそっちにシフトチェンジしたわけです、15歳の私は。

 

勉強はできないわけではなかった。

それなりの進学校にも行けた。

でも私は怖かった。

落ちて私立へ行くことになって高いお金を親に払わせることも。

親の中の選択肢に就職しかなかったことも。

 

だから選んだ農業高校。

それに当時は動物園の飼育係員になりたかった。

 

高校に入ってからは地獄だったな。

いまだから素直に言うけど

合わなかった。

みんな勉強は頑張らないし、行事は適当

クラスで行動することもあまりなく

高校生にもなって、という感じがするけど男女の仲が悪く、

わたしはもっと低いレベルに合わせなきゃ行けないのか?とずっと頭の中でもっとバカでいよう、とか勉強がんばらなくてもある程度の順位にいれるな〜とか。

 

楽をした。

その対価。

 

ただただつまらなかった。

他の高校に行った友達が羨ましかった。

 

でもこの言葉を周りの大人に吐けたかというとまずその選択肢がなかったなぁ、ってことに今更気づいたの。

言っていい言葉ではないと思ったし、

言ったところで、、と思っていたから。

 

きっと優秀な人はこの環境さえも楽しめるんだろうなぁ、とか。

進学校へ行った友達とどんどん差ができていくようで悲しかった。

 

 

あのとき、つまらない、って言える人が周りにいたらなぁ。

 

つまらないって言ってよかったんだ。

今思いつくのはやっぱり先生に言うことで。

 

でも私は高校生の時、高校の先生を信用していなかったと思う。

なんだか、一生徒としてしかみられていない気がして。

私という存在としてみてくれていた先生は高一のときにいなくなってしまった。

 

その時の私なりに、

この環境でどう楽しもうか考えてはいたつもりだよ。

 

社会人になって気づいたことだけど

高校生の世界ってとてもせまい。

 

せまいし、知らないことが多くて、知らないでいれば見過ごしてしまうことも多い。

 

そういう時、大人を頼れたらよかった。

 

私を取り巻く環境は

学校の友達、先輩、後輩、先生、家族

くらいでしか構成されていなかった。

 

先生から選択肢をもらったわけではないし、

親からは就職が当たり前だと思われていた。

 

そんな中自分で見つけた進路にデザイン専門学校があった。

何度もオープンキャンパスに通って、私やっぱりここに行きたい!と思っていたけど今高卒就職しているわけで。

 

一番な理由は親とのぶつかりだった。

私の将来を心配しての判断だったと理解しているつもりだけど納得できていない、今も。

そういうわだかまりや、親への不信感が今の親との関係も作っていて、親のこうあるべき、こうしてほしい、の中で生きているのだなぁと思う。

 

進学したいと言った時、

遊びに行くなら行かせない。と言われた

遊びに行くようなコに見えていたのかな、親には。

 

多分そこらへんの学生(失礼な言い方ですみません当時の私の思いです)よりも将来のこと、やりたいことを考えていたし、行動に移していたと思うよ。

 

そんな時、相談できる人が身近にいれば。

 

私なりに動いた、その専門学校に実際に通っている人たちに何度も話を聞いたし、知らない先輩たちにもTwitterのDMでたくさん質問させてもらった。

 

たまたま高校の授業で行ったインターン先に元々デザインの仕事をしている人がいた。

 

その人にも私なりに相談して進学への意志は固めていたのに。

 

どこまで頼っていいのか、話していいのか、決めていいのか、私にはわからなかったんだよ。

そんな中親からは当たり前のように就職しか考えないと言われた。

 

専門学校だったからいけなかったのかな。

大学だったら違った?

大学という選択肢すら当時の私には誰も教えてくれなかった。

お金があってある程度勉強できる人がいくところ。

進学校で今勉強を頑張っている子たちが掴むところ。

というイメージで到底私に行けるような場所ではないと思っていた。

わたしは当時から静岡を盛り上げたいと考えていた。

具体的な案があるわけではない、でも手段としてイラストやデザインを使いたかった。

 

今だから知っている。

そういうことを学べる学部があること。

一般入試以外の受験方法があること。

 

あとから知って、気づいてもただただ苦しいだけだった。

 

高校生の私は未熟で無知で繊細だったから

誰かの反対意見が怖かった。

親から心配される未来が実現してしまったら、と考えるとリスクが高く感じてしまった。

 

 

そんな中で反対されながら決断できる強い意志はなかったんだよ。

 

そういう時、

わたしにも第3の居場所があったら。

今回のミーティングで話したような、先生でも親でもない人との自分の本音で話せる場があったら。

 

わたしの話は大袈裟で、後悔の塊で聞いていて周りまで暗くしてしまうことが多いけど

そんな話が許される場が提供されていたら。

 

だからそういう場って必要かもしれない。

実際に経験できなかったけれど、

わたしのような高校生、または社会人も。

悩みを少しでも軽くできるなら、それを分かってあげられるなら

 

わたしがやる意味もあるのかもしれない。

本当にそういう場が必要だと知っているわたしがやる意味はあるのかもしれない。

 

 

わたし自身色々な手段を知った今、そのまま胸にわだかまりを残したまま生きていこうとは思っていないし、当時感じ、今の関係性を作ってしまっている親にもあの時の気持ちや感情、今後のことを話さなくては、と考えている。

 

このままではわたしは親に感謝できなくなってしまう。

あの時のことを親のせいにしてしまう。

 

そうではない、わたし自身が選び、今はまた進んでいるんだと実感しなくてはいけない。

 

 

きっと高校生のわたしではたどり着かなかった地点に今いる。

 

楽をした代償。

 

だけど取り返せるよ。

返さなくても作ってはいける。

 

一枚一枚できることを重ねていく。

あの時の、高校生のわたしの気持ちを私はまだ忘れてないからね。

22歳になった私が17歳の時のわたしの言いたいけど言えなかったことに今耳を傾けている。

そうだよね、って。

 

今だからこそ気づけたことも、

スタートが出遅れてしまったことも事実で

あの時とは違う不安がわたしの中を占めているけど弱音を吐いて行動しない時間を過ごしているわけにはいかないんだ。

 

わたしは静岡を盛り上げる。

わたしの好きな静岡を。

人もまちも、出会いもきっと1枚1枚重なってきている。

 

もっと沢山の重なりを、厚みを、深さを、あたたかさを。

わたしが今がんばることが見えてくるんじゃないか。

 

高校選びに失敗した私と、17歳の頃の思いとそれからの苦しんだ私の思い全部今の私を作ってる。

 

嫌なことばっかりではなかったし、こんなに幸せでいいのかな、と思うこともあったけど

きっとやりたいことをやっていく方がそれは何倍にもなってわたしに降りかかってくるのだと考える。

 

ずっと書いていても埒があかなくなる文章。

当時の私は後悔の塊で、今もその塊は消化されていないから。笑

 

私は私のために私である。

後輩の子が言っていた言葉だけど正しくそれだ。

 

私は私のために私でありたい。

あの時の私のために、今の私のために。