比較

わたしにはかけがえのない大切な人たちがいるのに

その人たちを大切にできないのはなんでなんだろう

大切ってなんだろう

周りの人達とは今後どう言う関係でありたいんだろう

 

損得で考えるのは好きではないのに

決定的な判断をするとき

わたしは比較する、どちらが自分にとって

損なく、幸せで、人に羨ましがられるか

 

絶対評価相対評価

最近知った言葉である。

 

この場で使うのが正しいのかわからないが、

違いは自分の中に基準があるのか

外部に基準があってそれと比べることで評価するのか、だと考えている。

 

比較しているときは苦しい

 

なんで他人と比較するんだろう

犬とは比較しないのに

 

同じように手足があって、

同じように考えて発して

動いて、食べて、会話して

 

そうやって同じ行動をしていくうちに

その人との違いはどこなのかを見始まる

というか見えてくる

 

それがまず最初の比較だと思う、、、

 

その前に外見でも比較しているかもしれないな

 

服や髪型、風貌

その人が纏う空気

 

その時から自分や自分の知っている人との

比較は始まっていてきっとそれに合わせて態度も変えている

 

汚く、本音を言えば

今のわたしは人と比べる時の基準に

この人は自分よりも優れているか、否か

を見る

 

 

こんなの叩かれるよ、言葉にすれば今の時代

 

容姿でも、頭脳でも、体格でも、センスでも

比べる

比べてその人に優っているのか、劣っているのかを測る、測って判断して対応する

 

この人と関われば何か大きなことができるかもしれない、

この人は話がつまらない、狭い世界で生きているきたんだろうな、

この人は自分がどれだけすごいか知ってもらいたんだ、そんなこと本当に大きい人はしない

この人は思っていることがあっても言わない人だ、怖いな

 

色々見て、判断する、される

 

毎日これを繰り返すことに息苦しさを感じる

 

比較しないで生きてみたらどうなんだろう

他者に基準を作らず

自分に作ってみる

 

一緒に何か大きなことができるかもしれない人の様子を伺うのではなく自分から提案してみる、、、とか?

 

話がたまらないと感じるのなら、早めに会話を切る、それが自分が息苦しくならない方法だと思う

自分以外にも複数人いるのならその人の話を面白くする方法を考える

 

人に頼らずその場の自分を創造し

そこに私という存在を置く、動かす

 

一傍聴者、傍観者、で終わらない

本当に動きたいのなら

 

 

比較するって苦しいけど

今の自分と過去の自分を比較するのは

それほど苦痛ではないかもしれない。

 

基準を自分の中に作る、

影響されすぎないように、自分を創る

 

きっと難しいこともあるけど

そうやって生きていけたら。

 

ああ、最初の問いから

すこし逸れていたけど、

自分をつくることは相手のとの関係も

自分で作っていくこと

人と比較するから、わたしはこの人のことを大切にできていないのかも、と考えるのだと思う

 

比較するのではなく自分の中に基準を持ち、

その中で自分はその人と個の関係を作っていく

 

わたしは一般人ではなく

さいとうなのであり、さいとうのまわりには

たくさんの特別な人たちがいる

 

わたしは3つくらいにしか人を大分できていなかったように思う

個々が違うのに、

意識高い行動する系

一緒に遊ぶ系

ただ時間を過ごす系

 

思いつくとこの3つくらいにしか分けてないないのかもしれない。

変な分け方だけど、、、

 

もっと気付きたい、自分の周りの個に

みんな違ってみんないい、

金子みすゞさんの言葉が出てきちゃうほどに

その違いを楽しみたい

 

まるこちゃんの作者、さくらももこさんは

日常をよく見て、面白がる

的な言葉を残していた

 

面白がる、

面白いではなく面白がる

その面白さは自分でつくるもの

誰かに気づかせてもらう物ではなく

日常の些細の中のぽつっとある何か

それはきっと見方をかえると面白いもの

 

私の周りの大切な人たちも

見方が変われば個々を面白がることができるかも

面白がるってすばらしい

 

人を楽しませるにはまず自分が楽しむこと

 

もっと私の人生面白がろう