"ありきたり"と語彙

11月を過ぎて12月に突入した。

 

なにを言葉にしても響かないのはなんでだろう。

私はよく"めちゃくちゃ"という言葉使う。

めっちゃ◯◯

めちゃくちゃ美味しい

めちゃくちゃ面白い

 

それ本当にめちゃくちゃ面白いのか???

人に伝えることを意識するあまり過度な表現をしていないか。

 

人の関心を引くために自分自身が選ぶ言葉。

 

伝えたい事実< 聞いてもらいたい欲求

になっていないだろうか。

寂しがり屋、という表現で合っているかな。

 

人が自分の周りにいない状況を寂しいと感じる

寂しいと感じても素直になれないのはなんでだろう。

ずっと長女だからだと思ってた。

弟の入院と自分の心が辛い時が重なって、

弟最優先の生活、待合室でずっと絵を描き続けた時間。

バスケのクラブにいけば、あの子がいることが憂鬱だったし、今思い返せば私は小学3年にとって結構過酷な環境にいたのかも。

 

そういう辛い、寂しい気持ちを無意識に、気づいても隠すように、過ごしてきたから今こうやって自分の感情を表現し、伝えることが苦手なんだと思う。

 

寂しいけど寂しいのは私だけで他のみんながもうそこに居場所があるなら私はそこに入れない。入る勇気がない。

それでいいと思ってしまう。

 

人と違う、それはわかってる。

みんな違うから。好きなものも、嫌いなものも考え方も。

そういう考え方もあるよね、って受け取れるのは自分はそこには関係ないと思えるからなのかな?

関係ないけど、そういう考え方もあるよね、

なのか

私はこう考えるけどあなたはこう考えるのね、なのか

結構、というかだいぶ違う。

わたしは前者であることが多いから、

ありきたりなことを言ってしまう。

 

あなたのことなのにわたしが関与、影響を与えすぎるのは怖いから、ありきたりでよく聞くような、当たり障りのない、言葉。

 

そういいことに慣れていくと自分が思っている考えていることが分からなくなっていく。

とりあえずこれを言っておけばいいや。を選びすぎて当たり障りのない言葉しか言えなくなっている。

 

尖ったことを言うのは怖い。

みんなと違う、は怖い。

誰かのことばに便乗するのはとっても簡単だな、って思う。

誰かの出した答えを聞いて、さもわたしが考えていたかのようにすっと入ってくる瞬間。

納得してしまえばそれ以上考えを深めようとも思えなくなる。

 

そうやって薄い膜を自分の心に何枚も何枚も重ねてきたから厚い皮になってしまって、自分でも心の声に気づかなくなってしまったなあ。

 

もっと自分の声に耳をすませてあげてほしい。

どんなことに悲しんだのかな。

どんなことが悔しかったのかな。

どうしたかったのかな。

どんなことに興味を持つの?

全部きっとわたしの心の声は答えているけど気づかないくらい、心じゃない部分が選んだ答えを心が選んだ答えだと勘違いしてしまうくらい声が小さくなってしまった。

 

気づいてあげよう。

心の声に、それで外に出してあげよう。

外に出して、発してみて、他人と違うのが怖いかもしれない。

怖くていいんだよ。

人と違うことは不安になるけどそれを恐れてはいけない。

人と違わない、合わせ続けることの方が怖い。私がわたしで無くなっていくということ。

 

もっと人と逸れていこう。

人と違うことは怖いし、一緒でないことを理解して一緒に何かをすることは難しいけどそのために勉強するんだ。

本を読んだり、人と出会って話したり、興味のある場所へ行って、言葉や経験や風景や人の気持ちや匂い、体感する温度、熱、自分の中に生まれる気持ち、そういうものをわたし自身で作ってわたし自身で気づいてあげること。

 

わたしはきっと敏感に声に気づけると思う。

 

日々を丁寧に

人を大切に

周りの環境を変えていく

それが自分をありきたりから解放してあげられる方法かな、と思います。

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