きたない言葉の吐き場所

しね

いなくなっちゃえばいいのに

おまえなんか嫌いだよ

も。

ぜんぶ心の中で思っては咄嗟に消す言葉で

消化しきれない時は舌打ちしそうになる

くそって思う、目つきも鋭くなる

それも抑えて、

こくんとうなずく

 

頷いて落ち着ける

目を閉じて

息を思いっきり吸ったらその分、

その分よりももっとゆっくりいっぱい

あつい空気を吐き出す

言葉達は私のお腹の中を駆けずり回るの

ぐるんぐるんそこらへんにその怒りをシャンシャンぶつけながら。

その音は私が私をほかの思考へ連れていくのを邪魔してひとり、ただ座ってるだけに見せて

その内側を歪ませていくんだよ

 

少しニヤッと笑う

少し楽しいことを考える

少し会いたい人を思い浮かべる

 

楽しい方へ、楽しい方へ

自分を引っ張っていく

そしてぱっと目を開けると汚い言葉はどこかへ行ってる

 

言葉たちはどこへ消えたんだ

のたうち回っていた言葉達はどうやって死んだの?

死んだの?

私の大切な感情のひとつ

できればずっと笑っていたい

できればずっと照れていたい

できればずっと高い声でいたい

できればずっとうきうきしていたい

できればずっとスキップがいい

できればずっとお気に入りの服を着て

髪の毛はツヤツヤで化粧もばっちり

履きなれたサッカ二ー

できればずっと可愛くあって

わたしがすきな私で私の好きな人たちと

わたしって幸せものだなあって

都合がいいとか、クズだよとか

そんなのどうだっていいよって言い切って

何度も何度も幸せを噛み締めて生きていたい

 

でもそれだけではいられなくて

納得できないことはいつまでも納得できないし

嫌いな人とは一言だって口を聞きたくない

相手がして欲しい反応なんてしてやらないし

こんなことに私の可愛い笑顔なんて使いたくないし、

わざと大きな音を立てて伝わっちゃえばいい、私は怒ってるんだよ、あんたはなんもわかってないよって伝わっちゃえ

わざと眉間にシワを寄せて

わざといつもの何倍も冷たい態度をとって

それで勢いよく

 

 

それで

喉から溢れて舌に乗りそうなところで

汚い言葉を急停止させる

言えよ、

言っちゃえばいいじゃんか

なんで私がそれをやらなきゃいけないの?って

それつまんないから私はいらないって

あんたなんかどうでもいいよって

ついてこないでって

私はこれやりたいからって

お前と一緒にしないでよ

あんた自分勝手すぎるよ

私ばっかりなんでこんなに可哀想なの?

なんであんたが裏切ったくせに楽しそうにしてるの?

私は悪くないよ

お前がわるいんだ

ぜんぶぜんぶぜんぶ言っちゃえばいいじゃんか

その言葉を吐こうとすると

それよりも先に目がカァっと熱くなる

熱くなって視界がぼやけて、今からお前は人を傷つけるんだぞ、それは本当に伝えていい言葉か?って

傷つけてやりたいんだからほっといてって思うのに自分の吐こうとするものに責任が生まれるのが怖くて、やっぱり舌の上でとどまる

それは優しさなんかじゃない

これ以上悪化させることが怖くて、

これ以上コントロールできなくなるのが怖くて

そんなこと言ってる自分が嫌いで

だから覚悟が決まらないんだよ

 

覚悟が決まらないうちにその言葉達は死んでいくの

舌の上で音にならずに死んでいった言葉を

唾液と一緒に飲み込んで

消化がされる、長い時間行ったり来たりを繰り返して、少しずつ曖昧にあやふやにぼやけて混ざってどこに行くべきものなのかも分からなくなって迷子になればそれは汚い言葉‪じゃなくなるの

 

ここで正しいとか正しくないとかそんな言葉でまとめたらそれは間違いなく正しくないよ、間違ってるよ。

間違ってる。

あんた間違えてるよ。

間違えたら正しくないの?

正しくないよ。

 

じゃあ正しいってなんだよ

正しくあればいいのか、正しくありたいよ

正しければ文句も言われないよね?

間違ってなければ正々堂々吐き出せるね?

よかったね。

そんな自分にいつかで会えるの?

出会えないよ。

これからも同じように吐き出す言葉を迷って悩んで苦しんで失敗しながら生きていくんだよ

 

中学の時、国語の先生が言葉には限界があるって言ってた

伝えられるものには良くも悪くも限りがあって伝えきれないのなら最初から全部伝えることは諦めるんだって

それで言った言葉が

ありがとう、だった

 

短い言葉に気持ちを

何千字打つよりも遥かにストンと入ってくるその5文字を選んだ、全部伝えることを諦めて

 

言葉にも仕草にも動作にも癖にも気遣いにも表情にも作り出すものにも伝えられるものには限界がある

それを掛け合わせて、足し合わせてできる限りで伝えること

それは共有できる思い出になること

共有できた心の中のちょっとチクッとするものも暖かくなるものも、ぽかっと空くものも

それはやっぱり言葉でも他のものでもそれ以上の人に伝えることはできないけど

伝えることを諦めたのにその人とだったら共有できるものになる

思い出ってすごいな

 

汚い言葉はこうやって少しあたたかいことを思い出せばいつの間にかもう吐き出す必要がなくなってる

 

それに安堵しつつ、また私は自分の感情をぶつける機会を逃したんだって悔しくもなる

 

自分だけの空間だったらなんでも言える

なんでも言えるかな

 

自分だけの空間だったとしても言うのは躊躇われるな、だって今ここに吐いてる言葉も

ちょっと載せることを躊躇した

 

人にももう一人の自分にもどう見られたっていいじゃん、いややっぱどう見られてもよくないよ

幸せな自分でいたいけど

その幸せな自分になるためのひとつの要素には周りに私を受け入れてくれる人がいなきゃだめで

受け入れてくれるとは言っても全部をさらけ出して、さあ、私も受け止めて、!!

なんてそんなこと思えないもん

 

言わなかった言葉が

言えなかった言葉がどこにいくのか

もう出会うことはないのかなあ

そうやって考えると汚い言葉にさえ

すこし愛着が湧いてしまうね〜〜

 

 

またきっとここになら

少しだけ吐き出せるから

また吐きに来るよ

 

私にとって今ここはそういう場所になってる

 

人になんでも相談出来るってとても素晴らしくてありがたいことだけど

それは良くも悪くも人にも自分にも関係性にも影響が出てくる、ということを最近学んだのです。

 

だからそのジャッジが面倒な時はここに吐き出そうと思う。