いっぱいいっぱいの自己欺瞞
人間関係でいっぱいいっぱいだ
人と付き合っていくことにいっぱいいっぱいだ
友達とも、恋人とも、職場でも
人を人として見ようとしない瞬間がある
人のことがすきなのに、
人を人として尊敬して、話に耳を傾けることができない
この人とは違うぞ、という抵抗感。
ヒトをモノとして扱う=抵抗感
最近読んだ本に書いてあった。
どうして、私を私と認めてくれないのか。
きている服や態度から自分が下だと
決めつけられている気持ちになる。
だから私は距離を置く。
そんなふうに私を見る人と腹を割って話せるわけがないよ。
私のことを、尊敬の念を抱いて見つめてよ。
知ろうとして見つめてよ。認めてよ。
そんな風に思う人が増える度に
悲しい気持ちになる。
なりたくてなってない。
でも本に書いてあったのは
あなた自身が不当な扱いを受けているから相手を遠ざけているのではなく、
あなた自身が相手を不当に扱うから相手を避けるようになる、ということ。
私自身が相手を丁寧に扱わないから
その雑な関係や適当な対応がその人との関係を遠ざけている。
私は人を人として見たい、といいながらそうある自分を、誰かからそう見える自分を作ろうとしている。
私自身が、誰かから見られているという視点を取り除かない限り自分に問題があるということに気づけないんじゃないか。
自分視点を意識すること。
誰かに見られても、誰にどんな反応をされようとも自分が感じることに素直であること。
自分を裏切った瞬間からどこを目指しているのか分からなくなるから
自分が思うものを、自分が表現したいと思うものを、自分の周りの人を、自分が始めたいことを素直に受け入れること。
自分が思うこと、態度は、相手がどんな状態であろうと相手の状態よって変わることがないこと。
相手が苛立っているからといって、私自身がそれに付き合って感情を昂らせる必要は無いこと。
私は私の中にあるものを
私が私のことを思わずして誰が私を大切にするんだろう
ただそれは自己中になるってことじゃないこと。
自分が自己中であることは違う。
自分がしてあげたいと思うことを相手の状態など気にせず行動に移すこと。
人のために動く時に、人の気持ちに揺れて、
自分の気持ちに抵抗することは
自分を無理やり正当化しようとする。
その瞬間から責任は相手に転嫁される。
そんな自分がその人のために動けるわけが無い。
自分がしてあげたい、するべきだと思ったことを素直にすること。
それに見返りは求めない。
私がしたいと思ったことをするだけだから。
そして私は笑っていたい。
人間関係でいっぱいいっぱいで
気づきたくなくても人の気持ちに気づきやすい自分はすぐに疲れてしまうし、
自分の気持ちをすぐ見失ってしまうけど
それでも人の気持ちに気づけるのなら
それは悪いことじゃない。
その気持ちの扱い方の問題。
私自身がしたいと思うことをする
その後のことばかり考えないで
人を意識してした選択はその人のせいにしてしまいがちだけど、その行動を選んだのは自分なのだから。
自分の意思を大切に抱きしめていこう