期待しない、なんてできる?
期待しなければ裏切られることはないのでイライラしなくなる
みたいな文章をインスタで見かけたのだけど
確かにね、と思いつつそんな暗示みたいな
無理やり気持ちを曲げるような、そんなことできるかな。
本心ではこうして欲しかった、って気持ちは少なからず持つものだし、その捉え方だよなぁ、と思う。
相手が思ったように動いてくれないからそこに苛立ちを覚える。
それをはなから期待せず、こういうものなんだな、となれていることに気持ち悪さや違和感を感じてしまうなぁ。
そこまで上、を求めてない。
並を求めてもそれが返ってこないとき
どうして?ってなってしまうんだよな
人にはそれぞれのものさしがあって
全部自分のものさしではかろうとすると
それはどこかで誤差ができて、ズレになって
どんどん離れていって測るって役割ができなくなる
人を自分のものさしで測らない、ってどういうことなんだろう
自分には自分の物差ししかなくて、
でもそれが他人とは同じじゃないことは知っている
知っていても測る
自分の中にある物差しは一つだけではないから
物差しが少ないと気づけない
だからその人になりきる、という自分の物差しを持っている
それもきっと沢山あるほうがいろんな考えを知って感じ、気付くことができる
ただ知っても行動は一つしか選べなかったりする
物差しが多ければ多いほどきっと行動に悩む
私の場合はね
ただ相手に最低限こうあってほしい、
という物差し📏は正直はからないなんてことができない、というかはかる気もなくはかってしまう。
だって最低限、の希望であってそれははかるほどじゃないことだと思っているから。
それも期待と言える。
相手に期待しているんだよなこれも。
期待しないなんてできないんだ。
きたい
【期待】《名・ス他》ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。
あてにしてるつもりじゃあないんだ。
でも期待通りか。期待外れか。
それだけでそのあとのわたしの態度はきっと大きく変わってしまう。
つまり、あてにしていないといいつつ、それに頼ってしまっているわけだからそれは期待しているといえるんだ。
期待して何が悪いんだよ。
夢を見ることと、期待することの違い。
っていうとわかりやすいのかもしれない。
夢を見る、夢を叶える。っていうと自発的に動いて自らその報酬を手にするイメージ。
期待する、あてにする、っていうと自分ではなく他者の変化を求めて待つことをイメージする。
ああ、たしかに。
自分でも思う。
わたしは自発的に動くことが少ないなと。
昔は違った。
わたしが動かなきゃ変わらないから動く、そうしていたのにいつからかなぁ。
私はもうこれまでこんだけ動いたんだから誰かが動きなよ、と思い始めたのは。
そう思ってしまうとそれを肯定し始める。
そうだよわたしはいつだって積極的にやってきたんだからアンタたちが動きなさいよ、って周りに求め始めていた。
わからない。
わたしが動けばいいのか?
例えば遊ぶ約束をしたとする。
そうしたら場所や時間やそういったものを決める。
わたしが動かなきゃ、というよりは行きたい場所があればわたしも動く。
でも自分がこれまで動いてきたな、という相手にはわたしは全然動こうとしなくなった。
たとえば彼氏。
わたしのことが大切ならたまにはエスコートしてみせなさいよ。
いく場所からやることまで全部お任せコースを楽しませてよ、って。
わたしはやればできるよ、でもあなたに見返りを求めているからあなたが動かない限りわたしは動かない。
何でわたしはいつも与える側なんだろう。
尽くす側なんだろう。
想う側なんだろう。
わたしにも愛を与えてよ。
もっと尽くして、言葉が欲しい。
想うのだから想われたい。
誰でもいいわけないじゃないか。
あなたと両思いでいられることをわたしは本当に幸せに思っていたんだよ。
それはこれまでのことにというより、これからのことに期待をした幸せだったのかもしれない。
期待していた。
両想いになれば、与えてもらえると思った。
両想いになれば、尽くされるのだと、包まれるような言葉がもらえるのだと思った。
両想いなのだから、お互いのことを考えて、思って、会って、話して、見つめて、触れて、彼をわたしのものにできると思った。
ものってモノ扱いしているわけではないよ
彼には彼の世界がある。
そこに踏み込めたならよかった。
踏み込む勇気も彼がそれを望むのかもわからなかった、拒絶されることが怖かった。
わたしは普通の人間ではないんだろうな。
普通ではない。
普通ではない、と思う。
普通なんてあってないようなもの、のその括りの中に入れていない気がするんだよ。
それについてはまたじっくり書きたい。
ぐるぐる考えて結局なにがいいたいんだ、という話だけど。
期待しない、なんてできる?
できないよ。
期待はする。
ただそれはあてにするのではその期待は重すぎるのだということ。
わたしが求めているものはなんだろう。
愛されているという実感。
ずっと一緒にいられるという安心感。
変わらない、深まる愛情。
層みたいに何枚も何枚も重ねる思い出と記憶。
彼の心からの笑顔。
そのどれも自ら動いて手に入れようとはしていない。今のわたしは。
動きたいのに怖いから。
これが一方的な気持ちだと気づくことが。
与えた分に返ってくるものがあるのかが。
期待ではなく、彼ならこんなことをするだろう、という予想。それが自分にとって望むもうが望まなかろうが起こること。
その予測を誤っているのかな。
望む方は無意識に傾けているのかも。
私の機嫌くらい私で取れるようになれ、と自分で思いながらそれって実はめちゃくちゃ難しいこと。
自分が機嫌悪くしてるのにその世話もするなんて。
余裕があればそもそも機嫌を悪くすることなんてそんなにない。
期待するのは余裕がないからなのかな。
余裕がないからか、自信もないから。
自信があったところで相手の行動を変えるのは不可能で私の受け取り方が変わるだけ。
言葉で伝えても届かないことはたくさんあって、言葉でも言葉じゃなくても受け取り手が聴こうとする姿勢を作ってくれないことには話にならないの。
考え方次第だったとしてもその結果が出てくるのはそれを何回も重ねた後でしょ?
まーーーたひねくれたことを考えてしまう。
わたしは無意識に考え方を折り曲げる。
無意識に避けるの、嫌なことを。
だからくねくね本筋のないような、筋が通っていない話したりする。
こういう考え方をしていると尚更期待しないなんて一生できないんじゃないかと考えてしまう。
そんな具合でこれからもきっと私は期待して裏切られて諦めて、また期待して、、を繰り返すのだろうなぁ
変化を求める自分がいるのだから
きっと急に変えることはできないけれど
少しずつ自覚していくはず。
自覚して、考え方が徐々にかわっていけば
行き過ぎた期待はなくなって
その分を自分が動くことで補えるようになれるかな。
補って自分で自分の感情をコントロールできるようになったら、自分の機嫌を自分で取れるようになるよね。
そんな自分になりたい。
海のような、穏やかで強く、広く深い心、