朝起きて

朝起きてずしん、とするこの気持ちを

持ち続けるのがつらい

 

朝起きて本を読めたら素敵だなぁ

 

日記が書けたらいいなぁ

 

やっぱり日を記すって大切なことだと思う

 

最近は日記がかけていなかったけど

残すべきような気がする

 

よかったこと3つとか

書いていこうかな。

 

いろんなことを考え出して行動せずに終わってしまうことが多いから、

今回は日記に3つよかったことをかくことを

まず始めます。

 

昨日よかったこと

・朝のメロンパンが美味しかったこと

・伝いたい人に考えを伝えられたこと

・仕事終わり家でのんびり過ごせたこと

 

こんな感じでいいのかな、、?

 

まあ少しずつ書いていこうと思う

 

わたしにはわたしの生きる道がある

わたしを信じて、笑顔

 

 

朝のこの空気を心地よく感じられるように

なりますように。

 

おはよう、わたしのせかい

蚊にさされがかゆい、楽しさの余韻

 

 

おもいふあん

彼と過ごした3年間

 

不安はずっと付き纏う

 

高確率で県外に行くことになる

彼は何がしたくて、とかどんなことに拘って

その会社を選んだのか、とか聞けてない

 

聞かないと。

 

彼のことを応援できる人間でいたい。

やることには応援してるよ!って

笑顔で言える私でいたい

 

というのが、本音でもあり。

建前でもある。

 

 

心の奥底には

なんで?ここに残るんじゃなかったの?

私はそのつもりで君といたよ?

 

ここらへんじゃだめだったの?

なんで?

なんで??

 

あなたは私と離れることは

そんなに大きな出来事ではないの?

って気持ち。

 

私の進路決定はわりと周りの人に左右されることが多くて、

 

好きな人のいる学校を選んだり

周りのみんながするから就職を選んだり

 

その結果後悔してきた。

 

だから、そういう周りの意見とか、

人の気持ちに左右されずに進路を選べる彼をすごいな、と思いつつ、

とても悔しい。

 

かれはそれでいいんだと思う。

そうやって生きてきたんだから。

 

私の番だなぁ

私が今までの生き方から脱しないと。

 

 

私自身の気持ちや意志に耳を傾けて

私はどうしたいんだい?って

じっくりじっくり聴いてあげる時間。

 

そういう時間を取ろう。

 

 

かれは彼で選んだんだ。

だからそこに納得できるように彼のお話を

聞こう。

 

今じゃなくてもいいけど、

彼の中で私はどういう存在なのか聞こう。

 

私との関係は今後どう考えてるのかなって。

 

 

私は私で持っていよう、考えや気持ちを。

好きな人に左右されてきた人生。

今回は流されない。

私がどうしたいか、は忘れちゃいけない。

 

そんなふうに思えた朝です。

 

私よ、不安だったらその気持ちを

なかったものにはしなくていいと思うよ。

 

その不安をどんな危機の詰め合わせなのか

読み解いて一つずつ解決や納得できる道を考えていこう

 

結構、ストレス溜まり気味だよ

かれの就職先が決まってからね。

 

そんな自分にも気付いて。

 

うやまってあげて、ねぎらってあげて。

 

わたし、おつかれさま。

 

あなたの行動は全てあなた自身で

決めていいことなんだよ。

 

 

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私の軸とは

私にとっての軸ってなにかな

 

楽しむこと

 

周りの人と笑顔でいること

 

色んな人と深い話ができること

 

今私にとって2.0は手段で、それが全てではない

2.0の理念に賛同はしているけど、それが私のやりたいことのど真中、というわけでない。

 

アート、デザイン

という言葉が常に気になるのはなんでだろう

わたしにとってはわたしを表現できる方法だと思っているからかな。

今は前ほど強く極めたいと感じないのはTwitterを見たり、周りの人を見て自分なんてそこらじゅうにいる絵を描く人に劣っていると感じているからかもしれない。

 

描くことを継続できていないから。

 

センスは磨くもの。

才能は開花させるもの。

 

私はそこに向き合えていないと思う、今。

 

ではそれを使ってなにをやりたいのか。

どんなことをしたら私自身が楽しいと感じるのか。

 

私自身、等身大でやりたいことと、

社会に求められていることに応えることは

同じではないのかもしれない。

 

アート、芸術を手段として扱うのなら後者の考えで、社会に求められるものに芸術を取り入れること。

 

趣味として絵を描くことをやめることではない。それはそれで続ければいいのだから。

 

ちょっと極端に生きているんだよな。

私自身を信じてあげよう。

 

私の中にあるアートやデザインを使って何かをよりよくすること。

 

人を笑顔にすること。

 

花束のような人でありたいこと。

 

そうだよなぁ、花束のような人でいたい。

訳がわからないけど、誰がもらっても喜ぶものはその人に合うように選んで届ける。

 

それができたら素敵じゃないか。

私の軸はそこにあるのかも。

 

人を笑顔にしたい。

自分も笑顔でいたい。

気を使わないことを求めているんじゃなくて、

相手自身をみて話せることが私にとって大切で。

私があなた自身をみている時、

あなたにも私自身を見てほしい。

 

性別とか、立場とか、学歴とか、年齢とか、

そういうことではなくて、

ひとりのわたし。

 

そんな中で大切な人の笑顔をたくさん咲かせられたら、周りに幸せな人が増えて、わたしもその中にいれたとしたらきっと幸せ。

 

心は周りを写す鏡で、

でもわたし自身が、相手を見るときの鏡でもあって、難しいな。

影響されたくないけど響かせたい

相手の気持ちを理解したいけど

染まりたくない。

 

 

きっと無意識にたくさん影響されて染まってしまった部分もあって、それがちょっと怖くなったりもするし、嫌になったりもする。

 

周りの人にできることが自分にできないことも多くて、そこに劣等感をかんじたり。

 

それが生きづらさに繋がったり

 

そんな中でもわたしは人の心に響かせたくて、笑顔が見たくて、すこしでも心が軽く、暖かくなったら、と思って絵を描くんだよ。

 

 

わたし自身が心に敏感だからこそできることだと信じてる。

経験と技術はあとからだってついてくる。

 

いますべきことはわたし自身の心に向き合うこと。

軸をぶらさないこと。

 

そんなわたしを私自身が大切に抱きしめてあげること。

 

わたしを持ち上げてあげるのも

支えてあげるのも

心に気付いてあげられるのも

一番はわたしの中のわたしだから。

 

わたしの笑顔は絵は、言葉はきっと人を笑顔にする力がある。

 

そう信じてまた進んでみよう。

 

 

 

私自身をぎゅっと抱きしめて

 

 

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ゆめかのゆめ

これは夢かも〜!

と思ったので残しておこうと思います。

 

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ただいま午前の1時12分(´-3-`)

ふんって打ったら可愛い顔文字がいっぱい。

 

私の夢、

 

おっきくて開放的なお家。住み開きなんかして、のんびりと暮らすこと。

 

古民家、とかではなくてもいいんだけど

あんまり高さのないお家がいいなぁ。

 

必須条件は縁側。

 

縁側ってなんであんなに素敵なんでしょうね。

 

庭も欲しいなぁ〜〜

 

日本庭園ぽさを採り入れつつ、ごちゃごちゃさせたい。

 

1日中縁側でぽけ〜っとできたなら。

 

人が来て、広間を使ってあらたな繋がりの場ができたなら。

 

穏やかに大切な人と暮らせたなら。

 

いいなぁ、これ。

そのために今の私ができることは何かな。

 

 

お金は必要だろうなぁ

 

住み開きの勉強も

コミュニティデザインの勉強もしてみたい。

 

インテリアやスペースの使い方、

人がい心地がいいと感じる空間、色使い、匂い、光、料理。

 

色んなことを知っていきたい。

 

共通することはそこに相手がいること。

 

もちろん1人で住むのもありだけど、

1人で大きい家に住むことにそれほど魅力を感じているわけでわはないんだろうなぁ、私。

 

私の周りにはきっとこんな夢を持ってる人が沢山いるかも。

 

その誰かと同じであることに前は自分の居心地の悪さを感じていたけどそれでいいんだって。

 

同じようなもの、なだけであって同じではないのだから。

 

そこでお絵描きをみんなでしたり、食堂的なことをしたりしたい。

それはたまにでもいい。

定期的に、みんなが来やすい場所に。

 

私は人を引っ張るタイプではない。

でもリーダーは先頭に居なくてもいい。

真ん中かリーダーであればそれでチームは動くのだと、とーやま校長が言っていた。

 

 

ひとつ夢ができて私はとっても嬉しい。

 

いつの間にか5月。

今は22歳。

 

まだまだ若い。

そして今が結果に繋がることを楽しめる時期らしい。

沢山勉強したい、自分の中でそれらを繋げていきたい。

実践、実践、

 

 

実現するためにまず、

やりたいこと、かつ、お金に繋がることを考えてみようと思う。

 

 

我が家から徒歩2分、お花畑を見つけました。

素敵だね、始まる5月。

 

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#おうち時間~ジンジャーエールを作ろう~

 

お題「#おうち時間

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新型コロナウイルスが広がって世界は止まってそして閉じこもっている。

 

それでもわたしは会社に出勤しなくてはいけない。不思議だなずっとどこか心がない。

そんなわたしも土日はやっぱり引きこもる

 

唐突ですが、

わたしはジンジャーエールが大好きだ。

特にspicyなやつ。

ジンジャーなちょっとシナモンが効いた強炭酸。

 

あ〜のみたいな〜

 

うーーん

 

!💡

 

作ってしまえばいいのでは?!

 

職場にミャンマー出身のかわいいおばちゃんがいる。

そのおばちゃんは食堂でわたしを見つけると

声をかけてくれる。そのおばちゃんから先日たまたま聞いたレシピ。

 

生姜 指の半分ほどのカケラ

はちみつ 大さじ2

ちょっとのレモン

炭酸水

 

これだけあれば美味しくて花粉にも効くジンジャーエールが作れるのだとか。

ふと思い出してちょうせんしてみることに。

 

 

 

 

 

 

 

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で、で、できた〜〜〜!

 

とてもいい感じ◎

粗削りすぎてだいぶ生姜だったけど。

これはうんまい

 

口の中がぴりぴりほっと。

 

これにシナモンを入れるとさらに

本格的な味わいになるらしい。

 

試してみたい。

 

ふふふ

 

きっと家にいなかったらしなかったこと。

 

私は幸せになりたいとき、おいしいものを大切な人たちと食べたいと思う。

そういう時、基本外食になりがちなのだけど

というか外食においしいものを求めていたけど

最近気づいてしまった。

 

自分で作ったものって本当に美味しい。

かつ、生きていると感じる。

生活しているなって。

 

なにを今更、では足りないくらい今更すぎる発言。家庭科の調理実習で感じたあの感覚に近いけど、それよりもはるかに気の抜けた感動。

 

おいしいものってしあわせだなぁ

 

ミャンマーのおばちゃんに感謝しよう。

次会った時においしかった〜って笑顔で言えることもまた一つしあわせだね。

 

 

 

 

 

2020読んだ本たち(随時更新✍️)

2020.3

 

2020.4

  • コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる(山崎亮)

 

  • 美術学生イトウの微熱 研究者の卵たちの慌ただしい日常(イトウハジメ)

 

 

 

 

 

2020.9  

  • <実践>自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート・ジャパン)

 

 

       

 

なんていうか

 

なんていうか神様は不平等だな

 

こんなときばっかり神様を出すのはどうかと思うんだけど。

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高校を卒業して働くこと

が真面目なんだと思っていた。

 

大学へ行くことは遊びに行くこと。

 

そんなふうに植え付けられた考えがあって

私は自分の夢も一旦保留にして働いた。

 

働いても、その遊んでると思ってた大学生の方が数年後には卒業して私よりもいい給料で責任を持って充実した毎日を送ることになるわけで。

 

こんな言い方皮肉で汚くて惨めで自分が辛くなるだけだけどなんで私はそっち側じゃないんだろう。

 

私だって大学行ってちゃんと知識を身につけたかった。

 

自分が就きたいと思う職を見つけて受けにいきたかった。

 

何をしたいのか、自分はどうやって生きていくのか、今をどう生きるのか、考えて弄んで苦しむことに集中する時間が私にも欲しかった。

 

私はなんでそこにいないんだろう。

 

なんで。なんで。

 

大切な人の内定を喜べない。

いや、喜んでるけど喜べてない。

くるしい。

 

ここからまた私は自分がどれだけ働いても

追いつかない存在と近くにいなきゃいけないことがくるしい。

 

負けず嫌い、人に流されやすくて

他人のいいところばかりに目がいってしまう

 

喉の奥がきしきしする

泣きたい時と同じだ。

 

きゅっとしまって目があるんでくる。

 

奥歯にぐっと力を入れる

それでもぽたぽた落ちてくる

 

くるしいよ

 

誰も助けてくれない

 

自分で這い上がらなきゃずっと地面にほっぺくっつけたままで涙流して

そのままでいいはずがない

 

私に今できることは何か考えよう。

私がどうあるかが私の問題だ。

 

人がどうだったから私の問題ではないよ。

 

それがどれだけ大切な人で、

ずっとそばにいたい人だとしても、

それはその人の道でその人の問題でその人の生き方。

私はその道を一緒に歩くことはできない。

 

私がその方向へ一緒に進むことはできても

その人の道を歩くことは違うんだ。

 

私にだって意志がある

わたしは私のみちを一歩一歩踏みしめて歩いて転んで、また泣いて、それでも起き上がらなきゃいけない。

 

わたしはわたし。

わたしはわたし。

わたし以外私じゃない、

歌詞と一緒だ。

 

わたし以外はわたしにはなれないし、

私もあなたにはなれない。

 

きっと何度もこんなくるしい思いをしていくんだと思う。

その時、笑顔で私は私で生きていくよ!って

弾き飛ばせる強さを育てよう。

 

 

高学歴、高所得、そんな人と横に並ぶ

 

なんて表現。

後付けでも大切な人に付けたくない。

それが事実だったとしてもわたしは彼をそんな目で見てしまったらきっと今までと同じ気持ちではいられないから。

 

わたしが働いている間にゲームして、寝て、遊んでってしてたくせに、

留年だってしたくせに、

ってすごいひどいことを思ってしまう。

 

わたしは彼の全てを知ってるわけじゃないから

わたしの知ってる部分だけで今の結果を手に入れたわけじゃないと思うから

 

 

きっとこの世には要領よく、かつ運がいいとされる人が数%、一定数いるんだとこの22年間を生きてきて何度も感じた。

 

私の周りにもいる。

 

その人たちはきっと運やいい流れを掴みにいく努力を気づかぬうちにできている人たち。

 

これを逃してはいけない、という場面で逃さなかった人たち。

 

わたしは逃してきた。

と感じることが多い。

後一歩早ければ、後1日早ければ、

あと、あと、、そんな後悔をたくさん募らせてきた。

 

いつまでこんなふうに生きるんだい、わたし。

 

わたし自身で掴みにいかなくちゃ。

 

 

わたしができることから始めよう。

 

決して前向きではないけど確実に後ろ向きではない。

 

とどまっていたくない。

 

私の中で思いつくことを形にしていこう

 

 

わたしはわたし。

 

わたし以外わたしにはなれない。

 

わたしは夢を果たす子なんだよ。

 

夢は見るんじゃなくて掴んで叶えていくものでしょう。

 

わたしは私で生きていくんだ。

 

やりたいことはやらなきゃいけないことだ。

 

そう思った。