私の軸とは
私にとっての軸ってなにかな
楽しむこと
周りの人と笑顔でいること
色んな人と深い話ができること
今私にとって2.0は手段で、それが全てではない
2.0の理念に賛同はしているけど、それが私のやりたいことのど真中、というわけでない。
アート、デザイン
という言葉が常に気になるのはなんでだろう
わたしにとってはわたしを表現できる方法だと思っているからかな。
今は前ほど強く極めたいと感じないのはTwitterを見たり、周りの人を見て自分なんてそこらじゅうにいる絵を描く人に劣っていると感じているからかもしれない。
描くことを継続できていないから。
センスは磨くもの。
才能は開花させるもの。
私はそこに向き合えていないと思う、今。
ではそれを使ってなにをやりたいのか。
どんなことをしたら私自身が楽しいと感じるのか。
私自身、等身大でやりたいことと、
社会に求められていることに応えることは
同じではないのかもしれない。
アート、芸術を手段として扱うのなら後者の考えで、社会に求められるものに芸術を取り入れること。
趣味として絵を描くことをやめることではない。それはそれで続ければいいのだから。
ちょっと極端に生きているんだよな。
私自身を信じてあげよう。
私の中にあるアートやデザインを使って何かをよりよくすること。
人を笑顔にすること。
花束のような人でありたいこと。
そうだよなぁ、花束のような人でいたい。
訳がわからないけど、誰がもらっても喜ぶものはその人に合うように選んで届ける。
それができたら素敵じゃないか。
私の軸はそこにあるのかも。
人を笑顔にしたい。
自分も笑顔でいたい。
気を使わないことを求めているんじゃなくて、
相手自身をみて話せることが私にとって大切で。
私があなた自身をみている時、
あなたにも私自身を見てほしい。
性別とか、立場とか、学歴とか、年齢とか、
そういうことではなくて、
ひとりのわたし。
そんな中で大切な人の笑顔をたくさん咲かせられたら、周りに幸せな人が増えて、わたしもその中にいれたとしたらきっと幸せ。
心は周りを写す鏡で、
でもわたし自身が、相手を見るときの鏡でもあって、難しいな。
影響されたくないけど響かせたい
相手の気持ちを理解したいけど
染まりたくない。
きっと無意識にたくさん影響されて染まってしまった部分もあって、それがちょっと怖くなったりもするし、嫌になったりもする。
周りの人にできることが自分にできないことも多くて、そこに劣等感をかんじたり。
それが生きづらさに繋がったり
そんな中でもわたしは人の心に響かせたくて、笑顔が見たくて、すこしでも心が軽く、暖かくなったら、と思って絵を描くんだよ。
わたし自身が心に敏感だからこそできることだと信じてる。
経験と技術はあとからだってついてくる。
いますべきことはわたし自身の心に向き合うこと。
軸をぶらさないこと。
そんなわたしを私自身が大切に抱きしめてあげること。
わたしを持ち上げてあげるのも
支えてあげるのも
心に気付いてあげられるのも
一番はわたしの中のわたしだから。
わたしの笑顔は絵は、言葉はきっと人を笑顔にする力がある。
そう信じてまた進んでみよう。
私自身をぎゅっと抱きしめて